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2007.12.26

資料:【半世紀前の改憲論争】① 神川 vs 石橋

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石橋
「現行憲法の三大原則――これが生命であります。これを是認しておるということは、私たちに言わせれば、どのような成立の経過を経ようとも、りっぱなものではないだろうかという疑問を呈するわけです。」

「あなたの言われるような憲法なら無効とお考えになるのかどうか」
神川
「私は日本の国会においてマッカーサー憲法は占領憲法であり、これは国際法上無効のものであるから失効するという宣言をしてよろしいと思うのであります。」

「マッカーサーのような人ですらあれだけ驚くべきことを断行しておきながらやはり明治憲法の七十三条を引っぱってくるのですから、従ってやはりわれわれもマッカーサーの故知にならいまして、やはりそう一刀両断的な処置をとらずに憲法九十六条の手続に従ってやった方が穏当だ、こう考えております。」
サンフランシスコ講和条約の発効により主権を回復してから4年、1952(s31)年3月16日に行われた公聴会で激しい論戦がありました。自民党は、党是である憲法改正をもくろみ、内閣の中に憲法調査会を設置する「憲法調査会法案」を提出します。この公聴会はその一環として開かれ、案件は「憲法調査会法案について」という名目でした。

公述人は、神川彦松中村哲戒能道孝の3名(は改憲派,は護憲派)。質問者は自民党、社会党、各4名ずつの計8名。最初に質問に立ったのは、石橋正嗣氏(社会党。後の書記長、委員長。非武装中立論で有名)。石橋委員は改憲派の神川公述人(国際政治学者)にしょっぱなから噛みついていきました・・・。

2人の熱いやりとりは国会会議録検索システムで公開されていますので、そのまま転載します。



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○山本委員長
休憩前に引き続き公聴会を再開いたします。
これより公述人各位に対する質疑に入ります。
この際委員各位に申し上げます。委員各位の公述人各位に対する質疑時間は、理事会の申し合せにより、公述人各位の御迷惑等も考慮に入れ、質問の重複を避けること、そして一人の質問時間は約十分以内とし、質疑応答はできるだけ簡潔に願うことにいたしましたので御了承願います。なお公述人各位におかれましても、できるだけ要旨を簡単にお答え下さるよう、特にお願い申し上げる次第でございます。
質疑の通告がありますので順次これを許します。石橋君。

○石橋委員
私、神川先生に若干御質問をしたいと思うわけでありますが、先ほどのお話をお伺いいたしますと、終始といっていいほど日本の現行憲法がマッカーサー、当時の連合国軍によって押しつけられたものであるということに尽きておったと思うわけです。

現行憲法の制定の由来、沿革を述べられまして、こういう憲法だから改正しなくちゃならないんだ、自主的な憲法に作りかえなくちゃならないんだというふうなお話であったと思うわけでございますが、残念ながら内容の点について私開き漏らしております。どのようなりっぱな内容を持っておろうとも、そういう経過を経てできた憲法なんだから、何が何でもだめなんだ、こういうお話なのであろうかという疑問を私持っておるわけです。

自民党の諸君は、この点若干良心のうずくところがあるというのか、現行憲法が民主主義と平和主義と基本的人権の尊重主義の三つの偉大なる原則を持っておるこの点については、何ら異議を差しはさむ余地がないどころか、何人もこれを不可とするものでないというような断言をすらしておる。これは何を物語っておるかというと、現行憲法の三大原則――これが生命であります。これを是認しておるということは、私たちに言わせれば、どのような成立の経過を経ようとも、りっぱなものではないだろうかという疑問を呈するわけです。

従ってまず第一番目に、どんなりっぱなものであっても、そういう制定の由来を持ったものはだめだというふうにお考えになっておるのか。さらに付言いたしますと、これは無効であるというお考えの上に立っておられるか。それならばそれなりに私たち了解できるわけです。ああいった占領統治下に作られた憲法は無効なり、暫定憲法か仮憲法として取り扱うなら私も了解できるわけであります。

一つには先ほど申し上げたように、占領権力というものを背景にして押しつけたということが理由の第一、しからば自民党の諸君――先生はどうか知りませんが、講和条約締結と同時に、独立したと称する時期を日してはっきりと無効宣言でもされればいい。その勇気はない、これはおかしい。だから先生がもしこれを無効だといわれるならそういう点で私たち了解する。

もう一つ、当時改正の手続として帝国憲法の七十三条に基いてこの改正をやった、これはおかしい。帝国憲法は発議権は天皇にのみ存しておった。にもかかわらずああいった形で制定して、形式だけ七十三条というふうなことを踏んでおるのだから、そういう意味からも無効なんだというならば了解できるわけであります。こういった点につきまして担当国務大臣の清瀬さんもいろいろ意見を述べておられる。清瀬さんの論法でいくならば明らかに無効ということになると私は思うのでありますが、この点についての先生の御意見をまずお伺いいたしておきたいと思います。

○神川公述人
石橋先生の御質問まことに私が申し述べたいと思うておるところにちょうどよく触れておりますから、私といたしましては、そういう質問があったことは非常に欣快なんです。

まず第一に占領中にできた憲法だからもう何が何でもこれはいけないのかどうか、どうもそういう御質問であったと思いますが、程度は先ほどはイントロダタクションだけ申したのでありまして、わずか二十分では内容まで深く入るひまはなかった。今度内容に入るのでありますが、占領中にできたからいけないというのは、つまりその悪法というものがいかに民主主義的にカムフラージュされておっても、また内容から民主主義憲法だといわれておっても、そのほんとうの性格は反対なものであって、これは全く専制憲法であり、植民地憲法だということなのです。これはどうも日本人によく了解されていない。これはつまり無条件降伏だということを了解せず、また軍下占領及び軍事統治というものの本質を了解されていないからであります。

もし平穏無事の際にああいう憲法ができたものならば、そうしてほんとうに日本人の手で作ったものならばわれわれといえども大賛成なんです。問題は先ほど私が申しましたように、戦勝国の軍事占領、軍事統治、それは前代未聞の無条件降伏による武力的絶対独政なんです。武力的絶対独政のもとにおいてできた憲法でありまするから、それがデモクラシーのアンチテーゼだということは、先ほど申しましたようにマッカーサーがそのレポートにちゃんと言うておるのです。本国政府に出しました。ポリティカル・オリエンテーション・オブ・ジャパンというテキストをよくお読み下さいますればそのことをうたっている。実際デモクラシーのアンチテーゼなのだからやむを得ないというふうに弁解はいたしております。

なぜそれがアンチテーゼかと申しますと、これは釈迦に説法でございますが、およそデモクラシーの第一に大切なことは国民主権ということが存在していなくちゃいけない。これはどなたも御承知の通りでありまして、国民主権が事実存在していないのにデモクラティック憲法はできるはずがない。つまり主権内国民が憲法制定権を持っておるということが根本の条件です。

ところが遺憾ながら日本は軍事占領並びに軍事統治の間におきましては主権を失うておったのであります。これは一方的命令によって主権を剥奪されておったのであります。でありますから主権のない国民が主権的国民であろうはずはない、主権的国民でないものがどうして憲法制定権を行使することができますか。

でありますから軍事占領並びに軍事統治のもとにおきましては、国民は絶対に主権的国民でなく、また憲法制定権を持たない、持ち得ないのであります。先ほど申しましたように、ローマ法のデベラチオの原則からいっても当然のことであります。そういうわけでありますから、まず第一にかのリンカーンのデモクラシーの定義にありますように、人民のという条件が欠けておる、主体性が欠けておるんです。一体主体性が欠けておる憲法がどうして民主憲法なんということが言えますか。

とにかく日本人が堂々たる主権国民であり、事実その憲法制定権というものを行使できなければ民主憲法なんかできるはずはない。ところがそれは先ほど申しましたように、武力的絶対独政のもとにおいては不可能なことなのです。でありますから、要するにこれは占領策が政治権力をもって作った憲法だということを先ほど申しましたが、つまり主体性が占領軍の権力にあったわけでしょう。そんなものがどうして口本人の憲法と言えますか。民主憲法、いわんや自由な民主憲法と言えますか。

第二は、民主的法律とか民主的憲法というものは自律的、自主的、自治的なものでなくちゃいかぬ。自分の手で書いたもので自分で法律にしたものでなければいけない。ところが先ほど申しましたように、これは連合国のスキャップが書いたものなのです。

どこから持ってきたものか知りませんが、とにかくスキャップが書いたもので、日本の力でいろいろ修正したといわれますが、それはほんの枝葉末節の点なのです。最初から根本的原則と基本的形態には手を触れるなという絶対命令があるのですから、従って日本の方で手を触れたというのは単なる枝葉末節の点なのです。

いくらいじくったところで枝葉末節の点だけで、実際根本というものは、論より証拠です。このマッカーサー憲法の原案をお読み下さればわかりましょうが、基本原則は全部同じことなのです。内容においてとにかく全部向うが言い、また向う裁可したものなのです。問題はだれが決定したかという点にあるわけなのです。まただれが書いたかという点にあるわけなのです。

ところがわれわれが書いたのじゃない、事実憲法原案を比較研究すればおわかりになりますように、ほとんど全部向うが書きまた翻訳も、それがきわめて拙訳、誤訳なのですが、それを一々向うが裁可したものなのです。最後の決定権はみな向うにあり、それでよろしいというので現行憲法になった。

問題は最後にだれが決定したかということなのですから、だれが言い出したというのは問題じゃない。先ほど中村先生の御意見では、こっちも言うたじゃないかと言われますが、最後の決定権が向うにあったということだけは確かなのです。最後の決定権はどこにあったかということが、要するに主権がどこにあったかということなのですね。

最後の決定権が連合国にあったことはだれも疑いないでしょう。最後の決定権が向うにあり、向うが書いたようなものがデモクラシーなんということば絶対にあり得ないでしょう。

さらに第三に民主憲法というものはその国民自身の利益のためでなくちゃならない、国民自身の福祉のためでなくちゃならない、国民自身の目的のためでなくちゃならぬでしょう。ところがこれは連合国の占領政策のためにやったものなのです。占領目的のために、個人政策を実現するためにやったものです。

もしマッカーサー司令官が連合国の利益を代表せずして、日本国民の利益のためにやったということならば、これは反逆者ですよ、それこそマッカーサーは連合国から死刑に処せられたでしょう。ところがマッカーサーが実際りっぱに日本でもって統治成績を上げたとすれば、それはマッカーサーは連合国のためにおそらく忠実に尽したからなのでしょう。だれが見て毛そうじゃありませんか。

それはそれがために日本が反射的利益を受けることもありますが、しかしそれは単なる反射的利益でありまして、決して向うが意図したものではない、要するにこれは法律上にいう反射的利益であります。権利でもない義務でもないわけなのです。でありますから結局これは連合国の利益のためにやられたものであるということは、また連合国の政策目的のためにやったということは、十分だれにもおわかりだと思う。

またどの点からいっても民主主義の要件を備えていないでしょう。それはただ形なり内容だけが民主主義というだけです。ところが民主憲法かどうかということは内容の問題ではない。たとい内容が神様が作ったような神法であっても、その手続がとにかく主権的国民が作ったものでなく、主権的国民が自分の手で書いたものでなく、主権的国民の利益のためにやったものでなければ、それは民主的憲法ではない。専制憲法です。なぜならこれは独裁君主、独裁権力者が作ったものなのですから、従ってこれは独裁憲法なのです。正真正銘独裁憲法なのです。植民地憲法なのであります。でありますから、ただ内容が民主的だということは、これはたまたまカムフラージュされただけのことであります。

もしも先ほど申しましたように、三つの要件がそろいますならば、内容は必然民主的になることはきまったことなんですね。内容が民主的に押しつけられたからといって、それが民主的に変るということはないはずなのです。ほんとうに民主的かどうかということは、内容よりは三つの要件がそろっているかどうかということなのです。また三つの要件がそろえば、おのずからにしてそうなるべきはずなのです。

ところが三つの要件がそろい――全然骨抜きであるにしても、もらったものでありますから、そのような格好になっておるわけでありますが、ただ形だけのことで民主主義の実はごうもないわけなんです。これがすなわち私がどうしたってこの憲法は内容を改めなくちゃならぬというわけのものであります。

これはおわかりだろうと思いますが、内容がいいから従ってこの憲法はいいじゃないかというほど非民主的な考えはない。遺憾ながら私はこれは中学生くらいの質問だと思うのです。中学生でもわかるだろうと思うのです。その点は実際の内容だけの問題でなく、三つの要件が問題ですから、内容がよければいいというなら、これは専制君主だって内容のいいものを出すかもしれないです。ですから内容というのはおのずから来ますが、決してそうではないと私は断言するわけであります。

○山本委員長
公述人にちょっと御注意申し上げますが、答弁と質問とで一人十分しかない約束でございますから、どうか答弁はなるべく結論を要領よく一つお願い申し上げます。

○神川公述人
それで石橋先生の第三の質問にお答えいたしますが、もしそういう占領時代にできたものならばそれは無効じゃないか、これはもう一刀両断にやってもいいのだというなら筋が立っていいというお話でありますが、これは私はもう数年来主張いたしておることでありまして、これは国際法の点から申しますと、すでにもう効力を失しておると言ってよろしい。

国際法の最も確立した原則の一つはいわゆるポストリミニアムの法理であります。いわゆる戦後原状回復と日本では訳されております。このポストリミニアムの法理によりますと、およそ軍事占領中にやったところのすべての法令とか処分とかというものは、占領が終了しますと当然失効するというのが原則であります。でありますから実際軍事占領中にできましたものは事実失効したのであります。

日本におきまして軍事占領中に作りましたところの法令とか政令とかというようなものはもうほとんど全部失効いたしました。十八カ月だけは猶予を置きましたけれども、占領中、占領幹部の指令によりまして作ったところの法令とか処分とかいうものは全部――例外はやはり戦争法規、国際法規に従って当然軍司令官がやられることだけは効力を持続することもございますが、しかしながら原則といたしましては、占領中すべての法令とかあるいは処分とかというようなことは失効いたしておるのであります。これはもう日本の裁判所でも認めております。

ただひとり憲法のみが残っておるのであります。しかしながらこの憲法といえども国際法のボストリミニアムの法理から見て当然失効しておると申してよろしいのであります。これが近代国際法における最も確立した原則であります。また世界のいかなる学者も認めておるのであります。およそ国際法におきまして、これほど確立した原則はないといってよろしいのであります。でありますから私はずっと以前から国際的には日本のマッカーサー憲法も失効したものといわなければなりません。なぜならばそのほかのものもほとんど失効したのだから、なぜ憲法だけを残しておるのか。

しかしながら国際法上の失効するということと、国内法上の失効するということは全然別のことでありまして、国内法におきましては、やはり国内法として失効させるだけの手続をとらなくちゃならない。その失効させるところの手統につきましては、私はいろいろ方法があると思います。しかしながら二つなり三つなりの方法がありますが、とにかく国内法において失効の手続をとらぬ限りは有効でありますが、国際的にはすでにこれは失効したものである、こう考えております。

○石橋(政)委員
一つ簡潔に御答弁を願いたいのです。あなたの言われるような憲法なら無効とお考えになるのかどうか、この点だけでけっこうです。

○神川公述人
私はその点はドイツのボン憲法のように百四十七条というものがあれば非常によかったと思うのです。そうすれば初めから問題にならずに新しい憲法を作れば当然失効なんですから問題にならないのです。それがつまりわれわれが一番困っている点なんです。

でありますからそういうものがない以上仕方がありませんけれども、一つの方法は私は日本の国会においてマッカーサー憲法は占領憲法であり、これは国際法上無効のものであるから失効するという宣言をしてよろしいと思うのであります。国内法上そういうやり方によりまして確かに失効すると思うのであります。

しかしながらマッカーサーのような人もそういうような乱暴なやり力をとらずに、明治憲法七十三条というようなものを引っぱってきて、実にむずかしいリーガル・テクニカリティを適用いたしました。これは非常にポリティカル・タクトだと思います。

ですからマッカーサーのような人ですらあれだけ驚くべきことを断行しておきながらやはり明治憲法の七十三条を引っぱってくるのですから、従ってやはりわれわれもマッカーサーの故知にならいまして、やはりそう一刀両断的な処置をとらずに憲法九十六条の手続に従ってやった方が穏当だ、こう考えておりますが、法理から申しますならば、日本の国会がとにかく日本の国民の憲法制定権を代表しておるのですから、日本の憲法制定権を代表している日本の国会が無効の宣言をし、そうして続いて国民投票について一応念のためにやってみて、日本の国民投票の大多数が大賛成といえばそれは私はよろしい、こう思うのであります。

○石橋(政)委員
どうやら理論の矛盾をみずから露呈されたようです。民主主義の一つの生命はやはり形式を重んずるということにある。従って事実はどうあろうとも帝国憲法七十三条の手続を踏んでいるんだから無効を宣することはできないということは、これは実質的に現憲法をお認めになっておることになるので、押しつけられた内容であるならばどんな手続をとっておろうともそんなものはだめだとはっきり言ってこそ筋が一貫すると私は申し上げておるわけです。

それを手続だけはちゃんと踏んでいるから無効ということはできないというのは、いささか理論が一貫しておらないと私は申し上げなくてはならない。

それから先ほど押しつけられた民主主義はだめだと言っておられるけれども、民主主義に二つも三つもあるのか、少くとも現在民主主義を奉じておる世界各国のどこの国を見たって、自分のところ独特の民主主義というものはそうあるべきものではない。本質の流れておるものは一つだと思う。アメリカ十三州の独立宣言あるいはフランスの人権宣言というものに由来した、一貫した思想というものが私は民主主義憲法の中には流れておると思う。国民はそれをひとしく迎えて現行憲法に賛意を表しており、現憲法として今まで立ててもきておる。現在天皇、内閣、われわれ議員はもちろんすべてが現行憲法順守の義務を九十九条で負っておる。その現行憲法は押しつけられたものであろうと何であろうと、あなたがお認めになっている民主主義に一貫しておる。これ以上一貫しておるものはないということは先ほどほかの先生方が御説明しておる通りです。

従って私は内容がとやかくでないという先ほどの御説明は、これは話が一貫しない理論だと思うのですが、この点であまり時間をとりますまい。

あなたがおっしゃるように、もし現行憲法が押しつけられたものであるならばという前提で話を進めたいと思うのでございますが、私たちは押しつけられたものだと思っておらない。もし押しつけられたものありとしいて言うならば、それは現行憲法ではなくて日本の国民が憲法制定をする権利を確保した、このことが押しつけられたのかもしれない。なぜならば帝国憲法には国民主権というものは御承知の通り認められておらなかった。それが認められたのはいかなる機会かといえば日本がポツダム宣言を受諾して無条件降服をしたそのときに由来しておるわけです。だから占領軍に押しつけられたとどうしても言わなければ気が済まなければ現行憲法を押しつけられたというのではなくて、国民主権を押しつけられたというふうに解釈すれば、これまた筋が通ると私は思う。

あなたは占領軍の権力で押しつけた押しつけたとおっしゃるけれども、しからば占領軍の権力というものはどこに由来して与えられたのか、先ほど申し上げたようにポツダム宣言受諾というところで発生しておる。日本が無条件降伏したことによって初めて占領軍が権力というものを確保したわけだ。

ところがわれわれは無条件降伏をした、それと同時に連合国軍もまたこのポツダム宣言というワクにはまったわけだ。なぜならばポツダム宣言受諾のときにその内容を両者とも守るということをちゃんと約束しておる。

ポツダム宣言の内容を今さら私がここであなたに読み上げて御説明するまでもないと思いますけれども、その中でポツダム宣言を受諾するときに日本の政府は天皇の大権、統治権をそのままにしておいてもらいたいと言ったけれども、それは一笑に付せられた。そして何と言われたかというと、結局国民が自由な意思で日本の政府を形成する憲法を制定する権利を持つようにしなくてはならぬのだということが、向うの最後の要求であった。従って連合国軍もこのポツダム宣言受諾に際して発した内容を、結局みずから順守しなくちゃならない義務を持っています。

明文をここで読み上げますと、最終的の日本国の政府の形態は、ポツダム宜言に従い日本国国民の自由に表明する意思により決定さるべきものとす、というのがポツダム宜言受諾のときの第二番目の条件になっておるわけです。連合国みずからもこのワクの中にはめられておるわけだ。

またさかのぼっても連合国軍として、はっきり守らなくちゃならないものがあった。それは何かといえば、大西洋憲章です。清瀬さんはこれをちゃんとあげて、マッカーサーは大西洋憲章に従わなかったんだということを言って、やはり無効説に近いものを吐いておられるけれども、連合国軍は、はっきり日本人が自由に表明した意思で憲法を制定し、国家を形成することを要求しておった。この要求に基いていろいろその後指示を与えておる。ところが日本の当時の反動勢力は、何とか現状を維持しようというあがきを見せた。だからたまりかねて、なぜポツダム宣言受諾のときの……。

○山本委員長
石橋君に御注意申し上げます。どうぞ質問をおやり下さい。あなたの質問時間だけでも、すでに十分を超過いたしております。
〔「それは質問じゃない」「議論だ」「質問をやれ」と呼ぶ者あり〕

○石橋(政)委員
それで連合田軍も、結局ポツダム宣言受諾のときの条件の拘束を受けておった。それを、しからばあなたのような論法でいくならば、マッカーサーはポツダム宣言を無視したとあなたは言い切るのか、その点だけそれではお伺いしましょう。

○神川公述人
石橋先生の御意見にお答えしますが、御議論が非常に多岐にわたりましたので、それに詳しくお答えしておりましては、どうしても一時間やそこらはかかるのでありますが、一時間も御説明しておるわけにいきませんから、やむを得ず簡単に御説明申し上げます。

まず第一は私の言うたことに矛盾がある。私がとにかくこの憲法を認めていないにかかわらず、この憲法を無効にしちやいかぬというような意見を言うたという。これはどうも私の言うたことをよく正解していただけなかったためだと思うのであります。

私が申しましたように、たとい国際法上当然無効であったとして毛、国際法の領域と国内法の領域はおのずから別であります。従って国内法の領域において、それを無効にする法律上の手続をとらない限りは有効なんであります。でありますから私は、国内法上において無効になったとは申さなかったのでございます。

国内法上においては、当然有効なんでありますから、有効である問は、日本国民としてだれでもそれを守るべき義務があることは、われわれも当然認めている。であればこそ私はそれの効力を十分認めておるわけなんでございます。

議会が無効官許をするとか、あるいはまた第九十六条の手続によって改正するということと、この憲法が有効の間はすべての日本国民は――これは国務大臣や国会議員や官吏には限りません。あの九十九条の書き方はきわめて不完全なんです。こんな不完全な書き方はほかの国にはありません。この九十九条の規定をまつまでもなく、日本国の国民たる以上は、だれでもこれを順守する義務がございます。これは言うまでもないことなんです。これが第一の点であったと思うのでございます。

それからまだいろいろお尋ねになりましたが、もう一つどうしても誤解されておるという点は、ポツダム宣言やあるいは降伏文書は合意だとおっしゃったことですね。これは思うにアメリカの公文書というものを、お読みにならぬところからくるわけでございます。

このことはアメリカの公文書が実に明確に申しておるのでありまして、占領の年の九月六日にアメリカから、マッカーサー元帥へ通達いたしました最高司令官の権限に関する通牒というものがあるのであります。そのうちで、日本とアメリカの関係は決して契約関係でない。契約的な基礎によるものじゃないということを繰り返し言うておるんです。これはコントラクチュアル・ベーシスによったものではないとか、あるいはコントラクチュアル・リレーションズじゃないということを繰り返し繰り返し言うておるのであります。

ですからこの文章をお読みになるならば、たとい表面ほどうでありましても、あるいは合意だとか受諾だとか書いてありましても、法理上の意味はないのであります。法理上から申しますと、一方的の命令でありまして、外国の目から見て日本の占領統治というものは、マッカーサーのディクティトだといわれておりますが、実際その通りでありまして、マッカーサーの権限には実は何らの制限がないのです。ただ、一応そういう文章で表わしておりますから、道徳上の効力はありましょうが、法律上の効力はないのです。コントラクチュアル・ベーシス、コントラクチュアル・リレーションズがないということは、繰り返し繰り返し言っておるのです。

これはごく皮相の見解で、すなわち無条件降伏というものの性格をよく正解されないためでありまして、無条件降伏というものは、そういう契約的基礎の上に立つものではないのです。契約関係ではないのです。でありますから、連合国の方で義務を負ったということはないのであります。それだからある意味においては法律上アメリカが、あるいはマッカーサー元帥が、日本に対し約束を破ったということも言いにくいのです。それは道徳上は言えますよ、しかし法律上は遺憾ながらそういうことが言い切れないような状態になっておるのであります。

またもう一つの点、これだけはどうしてもお答えしておかなければなりませんが、民主主義は一つである、どこの国の民主主義でも同じだ、なるほどアメリカの民主主義というものはそれは大体において同じものでありましょう。しかしながら民主主義というものは、とにかくどこの民主主義でも、もしそれの名に値しますならば、主権的国民が自分で行い、また主権的国民が自分の手で書き、自分の利益のためにやる政治でなければならないということは確かだと思います。

ところが日本の憲法というものはそうでなくて、先ほど申しましたように、アメリカが作った、アメリカの作ったデモクラシーなんです。そんなデモクラシーというものはどこにもないのです。これば無条件降伏で初めて起った現象であるから、そんなデモクラシーはどこにもない。これが日本のデモクラシーは違っておると私が申すゆえんであります。

でありますからデモクラシーの本質そのものは変りはありませんが、日本のデモクラシーというものは決してそういうものではない。よその国のデモクラシーとはまるで違ったものなのです。遺憾ながらその点が違っているのです。でありますから、これをどこの国のデモクラシーも同じだということで片づけられることは、デモクラシーの本質そのものを理解されないところからくるのではないかと考えるのであります。とにかくこれだけお答えしておきます。

○石橋(政)委員
ますますもって私はわからないのです。第一に憲法の九十九条に、国民に憲法順守の義務が課せられてないのはおかしい、そんなものは世界のどこにもないと言われるけれども、結局国民主権で国民が作った憲法なんです。それを国民が守るのは当りまえだから書いてないのです。事実国民主権というものははっきりしておりましょう。

それからまたアメリカに押しつけられたのだとあなたはおっしゃるけれども、草案はマッカーサーの方で書いたかもしれぬが、あなたが認めておる手続を経ておるじゃないですか。そうして日本の憲法として今生きてぴんぴんしておるではありませんか。そうしてその中には、民主主義の精神が流れておるじゃないですか。

それを押しつけられたものだからいかぬ、押しつけられたものだからいかぬと言うが、押しつけられたかどうかしらんけれども、ちゃんとあなたのお認めになっておる手続を経ておる。ここに私は問題があるということをさっきから申し上げておるのです。

それから、この点はわれわれだけが言っておるのではないのです。先ほど戒能先生もちょっとお触れになりましたけれども、天皇も前後四回にわたって勅語を出しておる。それを一々ここで読むひまもありませんけれども、第一番目、三月六日に憲法草案要綱の政府発表があったときに勅語が発せられた。その中で「朕曩にポツダム宣言を受諾せるに伴い、日本国政治の最終の形態は日本国民の自由に表明したる意思に依り決定せらるべきものたるに顧み……」云々として「乃ち国民の総意を基調とし……」と書いてある。またその後六月二十日にも出ておる。十一月三日にも出ておるのは御承知の通り。前後四回にわたって勅語をお示しになっておる。あなたはこれも天皇が地位の安泰をはからんがために、国民がどうなろうと、国かどうなろうと憲法がどうなろうとこういうふうに書かされたのだとおっしゃるのですが、戦争中には軍閥官僚にあやつられ、占領中には占領軍にあやつられ、今後はだれにもあやつられないという保障がどこにありますか。あなたは押しつけられたのだとおっしゃるけれども、日本の国民は明治憲法のもとにおいては、主権は与えられておらぬし、この憲法制定を契機として現にわれわれ国民は主権を確保しておるのじゃないですか。こればポツダム宣言に従ってわれわれが確保することができた。どんな理屈を述べられようとも、現に生きておる国民主権の憲法というものを認めるのは当然です。あなたも認めると言っておる。それば正規の手続を経ているからです。その点を私は矛盾しておると申し上げたおけです。

それで質問に移りますが、草案が向うに書かれたのだからいけない。この点もほかの先生方から御説明があった。明治憲法だって伊藤博文が書いたことはちゃんと御承知の通りです。そうすると、この理論を裏返しますと、草案を作るということが非常に大切だということは私たちも大賛成です。しからばもし今度憲法を改正しようとする場合に、どこでだれが草案を作るかということが非常に大切になってくる。この点はお認めになりますか。

○神川公述人
石橋先生の再三の御質問にお答えいたします。私は急ぎまして、言葉を略しましたが、御質問の趣旨はよく心得ておるのであります。

その第一点は九十九条は当然のことではないか、むろん当然のことを書いたものであります。しかしながら諸外国の憲法を見ますと、こういう当然のことはあまり書いていないのでございまして、もし書くとしますれば、およそその市民というものはすべて国家の根本組織法である憲法というものはよくこれを守らなければいかぬと書いてあるのが普通であります。であるから国家の官吏とか、国会議員とかいう人が憲法を守らなければならぬことは当然でしょう。職責上当然のことでありまして、そういうことをここに書いてある。ただ抜けておるのはそういうことを書くくらいなら、本来なら日本国の市民というものはすべて憲法というものを順守しなければいかぬ、こう書くのが当然なことです。それが書いてないのが外国の憲法と違っている点です。これはおそらく進駐軍マッカーサー司令部が思うところあってこういうふうに書いたのだろうと思いますが、とにかく諸外国の憲法と違っておるという点を指摘いたしたのであります。

それからまたもう一つ、国民主権というものは日本に外国が与えたのじゃないか――私は一体国民主権というものはみずから戦い取るべきもので外国からもらうべきものでないと考えるのです。もらうような国民主権というものはあろうはずがないと思うのであります。もらったようになっておるけれども、自分のものにならないということは現実の事態が証明しておる。

およそ権利だろうが、自由だろうが、自分の力で戦い、取らない限り自分のものになりません。その点において非常な誤解があるわけです。外国から押しつけられてもらった権利は自分のものになりません。やはりもらったものはありがたくない。じきそれを失ってしまうのと同じでありまして、もらったものを国民主権だと考えることが国民主権というものの本質を理解されないことだと思うのです。

主権というものは革命の力によって、自力で戦い取らなければならぬものです。ところが日本国民というものは、その折革命も何もできませんでした。外国の統治ですから、植民地日本ですからどうして革命ができますか。今でもそうです。植民地そのものです。(「今でも植民地か」と呼ぶ者あり)

今だってそうだと思っている。でありますから、他人から押しつけられたり、他人からもらったものはただ形だけなんです。それを自分の力で戦い取って初めて自分の国民主権になることは当然じゃないですか。

ですから私はまだ日本人はほんとうに国民主権というものを理解してないと思う。遺憾ながら石橋先生がああ言われるところを見ると、そう思わなければならない。ほんとうに自分のものにならない。

主権は実力です。それは他人からもらったのではできるものではない。自分から戦い取って初めて国民主権になるのです。ですから私はそんなものは国民主権でないと思う。もう一度自分たちのものにしなければならぬ。かりにもらったものはそれでもよろしい。自分の努力で自分のものにしなければならない。そのする手続が抜けている。だからそのする手続をやらなければならぬ、こう申しておるわけです。

○山本委員長
石橋君に申し上げますが、結論をお急ぎ願います。

(筆者記:以下 憲法調査会法案に関する質疑ですので、省略します。)
[データ]
第24回国会 衆議院内閣公聴会議録 第1号
昭和三十一年三月十六日(金曜日)
午前十時三十二分開議
委員長 山本 粂吉君

質問者
[自由民主党]
大坪 保雄君
辻  政信君
眞崎 勝次君
山崎  巖君

[日本社会党]
飛鳥田一雄君
石橋 政嗣君
片島  港君
茜ケ久保重光君

公述人
東大名誉教授  神川 彦松君  :改憲
法政大学教授  中村  哲君   :護憲
都立大学教授  戒能 通孝君  :護憲
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本日の公聴会で意見を聴いた案件:憲法調査会法案について
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<関連エントリー・リンク>
資料:【半世紀前の改憲論争】① 神川 vs 石橋<
資料:【半世紀前の改憲論争】② 中村 vs 辻
資料:【半世紀前の改憲論争】③ 神川 vs 飛鳥田


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author: かずひろ
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資料:【半世紀前の改憲論争】② 中村 vs 辻

辻 「いかに敗戦という事態にぶつかったにしても、十年間にあなたの学者的良心がかくのごとく百八十度転回されたということについて、どういう心境の変化からそうなられたか。」 「天皇制のもとで、可能な範囲において、あなたは学者的な発言をなさったとおっしゃるが、しからば、将来共産主義政権ができたら、共産主義政権のもとにおいて、可能な範囲であなたの言論を学者の良心としてお述べになるつもりか。」 中村 「戦争中は、私なんかには権力を徹底的に批判するというまでの態度はなかった。それがやは...

資料:【半世紀前の改憲論争】③ 神川 vs 飛鳥田

飛鳥田 「現行憲法の上に立っておる国会ですから、みずからの存立の基礎に対して無効宣言をするなどということは、ちょっとできないことじゃないか。」 「またこの無効宣言をすべき対象である憲法の九十六条を利用して改正する。…これまた非常な矛盾じゃないか。」 「国内法的には、それでは占領軍命令ですか。」 神川 「その当時の法律が果して御議論のように無効かどうか、そういう議論がありますが、私が申したのは事実を申したのでありまして、事実がその通りであったから&hel...